なぜ、比較すべきではないと分かっていても、無意識のうちに参照軸を探してしまうのでしょうか。比較とは、人が社会秩序の中で形成する一種の慣性であり、私たちは比較を通じて自分の位置を確認します。しかし、本当の主体性とは比較をなくすことではなく、比較は情報を提供できても、自分の価値を定義することはできないと理解することです。同様に、多くの人は外部の情報に触れることが情報のエコーチェンバーを打破することだと考えていますが、単に一つの情報圏から別の情報圏へ移るだけなら、本質的には新しい参照軸に置き換えただけです。本当の情報の自由には、異なる情報に触れる → その背後にある論理を理解する → 独自に検証する → 自分自身の判断を形成する、という過程が必要です。最終的に、人の成熟とは参照軸を持たないことではなく、参照軸を主体的に選び、自分自身の判断体系を築けることです。
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