米国の住宅価格はなぜ比較的安定していて、中国の住宅価格はなぜ暴騰したかと思えば半値になるのか。重要なのは、米国人の方が賢いからでも、中国人の方が家を買いたがるからでもなく、両国の住宅が社会で果たしている役割が根本的に違うということだ。
米国の住宅は、ほとんどの場合、今でも居住用資産だ。値上がりすれば当然うれしいし、値下がりすれば当然つらい。だが、住宅が結婚、教育、戸籍、地方財政、家族の面子、そして階層上昇といったものに無理やり組み込まれてはいない。
数年前までの中国の住宅は違った。もはや住宅ではなかった。それは国民全体の信仰へと包装されていた。家を買わなければ結婚する資格がない。学区の住宅を買わなければ子どもに申し訳ない。中核都市で買わなければ落ちこぼれる。波に乗らなければ、この先の人生は終わりだ。
ここが核心だ。
中国の住宅価格が最も狂乱していた時、本当にそれを支えていたのは家賃収入でも、所得でも、住宅そのものの価値でもなかった。恐怖だった。義母は家がないことを恐れ、親は遅れを取ることを恐れ、同世代は一生浮かび上がれないことを恐れ、地方政府は土地が売れないことを恐れ、デベロッパーは話を続けられなくなることを恐れ、銀行はローンの借り手がいなくなることを恐れた。こうして皆が一緒になって、住宅を唯一の答えに祭り上げた。
米国の住宅価格にもバブルはある。だが中国の住宅価格はかつて、社会全
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