多くのキリスト教徒は、キリスト教とは「誰にでも親切にすること」だと考えています。親切であるべきだとは思いますが、人々はあまりにもいい人すぎます。実際、誰かにしてあげられる最も親切なことの一つは、その人に「意地悪」になったり、他の誰も指摘しようとしないことを指摘したりすることだと思います。私の親友と私は、意見が合わないことについて常に互いに指摘し合っています。なぜなら、そもそもそれを指摘できる知識を持つ人も、それに異議を唱える度胸のある人も、ほとんどいないと分かっているからです。もっと正義の怒りが必要です。いい人たちは、いずれ踏みつけられます。強くて親切な人たちは、そこまで世間知らずではないので、踏みつけられません。世界に好き勝手にされるのを許すことはキリスト教的ではありません。イエスの栄光のために、正しいやり方で世界に立ち向かうことこそがキリスト教的なのです。同情は道に迷った者に向けるものであり、神とあらゆる善に反対する者に向けるものではありません。神は臆病者を憎み、忠実な者を愛します。自分が正しいと知っていることのために立ち上がらない者を、神は憎みます。あなたには信仰がないので、臆病者として人生を歩んでいるのです。真の悪に対してできる最も親切なことは、それを殺すことです。Jesusは真の悪の対極(真の善)であり、だからこそ死はJesusに勝てなかったのです。
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